ねれない夜

ねれない夜にはと考えることがある。

私は何の為に生を授かり生きていてその後に引き続がねばならないのかと。

現代社会そんなことを考える人は少くないと思う。

大抵の人は忙しさゆえ考える時間が少ないが、私の場合問題はその時間が多すぎるという点にある。

私には大学時代夢があった。

建築家になるという夢だ。あまり有名ではないもののデザイン系の大学に入り、建築を学んだ。

私が犬ならばしっぽがちぎれてしまうくらいの勢いでふりながら授業を受けていたのだろうと思う。

プロジェクター越しに見る有名建築、特に人の巣となる住宅を学ぶのはとても面白かった。

私の専門学校での2年間はあっという間に終わり、建築の奥深さを学んだ私はまだまだ学び足りないと思い、専門学校を卒業したのち、とある美術大学に入った。

欲張りな私は写真、デッサンなど一見建築に関係ないような授業までとり、それこそ朝から晩まで取り組んだ。なぜならば楽しくてしょうがないから。

しかし、授業を詰め込みすぎたのと同時にアルバイトもしていて、また、サークルをしていた私の体はエンストしてしまった。

ある日急にエンジンが切れてしまったかのように動かなくなってしまったのだ。

それ以来電車とバスに乗るとパニックを起こしてしまったり、うまく呼吸ができなくなってしまった。

授業を受けたいのに思うように動かない体は不便きわまりなかった。

時々私は自分の体と脳と心が分離して行く感覚がある。それは中学時代からよくあることであまり気にしないようにしていた。

しかしそれはもしかしたら危険サインだったのかもしれない。

思ったことを素直に伝えられない私の性格上、分離してしまう感覚は失われないものだと今でも痛感するからだ。

今はそれができるようリハビリの日々を送っている。

話は戻り、何の為に生を授かったのだろうという問題だが、今ではそこに理由づけをしたがっていた自分が間違えていたのだと今では思っている。

私は私の身を持って想像できないことが人生の中で起こることを知っている。

だからこそ面白いと思えるようになれるのならば、私は自分自身の殻を破り、自分の足で歩ける日が来るのではないかとそう期待しながら日々を送れるようになりたい。