loop
雨が降った夜 考えることはいつも同じ
泥沼はまった僕の足は 重たくて重たくて
日が昇る朝に ハイになるのもいつも同じ
脳内麻薬できまった僕は 今にも飛べそうで
いつも通りを抜け出すにはどうしたらいい
薬漬けの日々に体はもう耐えきれない
空に浮かぶ雲 不安を呼ぶのはいつも同じ
水たまり俯く君は 寂しくて寂しくて
風が騒ぐ日に 逃げ出したくなるいつも同じ
台風が君を連れ去るには まだ少し早すぎて
いつも通りを抜け出すにはどうしたらいい
君のいない日々に心はもう耐えきれない
いつも通りを抜け出すにはどうしたらいい
薬漬けの日々に体はもう耐えきれない
歌詞を付け加え、曲が完成しました!
まだ歌とギターだけですが、シンプルな3コードの曲になりました!
転んだことのある人にしかわからない幸せ
これはあくまで私のことを例に挙げたたとえ話ですが、人にはそれぞれキャパがあり、それを超えることをすると体がついていかなくなり転んでしまいます。
私は夢の為に膨大なる知識と経験を取り入れる為、体を動かし、脳を働かせてきました。たった2、3年間ほどですがね笑
夢に向けて努力を惜しまない自分が好きで、高い理想と自分の価値観を押し通してきました。しかし、評価されればされるほど、期待と焦燥感に押しつぶされそうになり、視野は狭まり、周囲がみんな敵に見えてきます。
先生から見れば相乗効果が得られ、いい授業ができているという満足がもしかしたらできるのかもしれませんが、生徒にとってみては地獄の日々です。なぜならば先生の評価が全てだという思い込みをしてしまうからです。
ある1人の先生が良い評価をしたとしても、それが外に出て通用するとは限らない。
そうなるとどのようなプレゼンテーションをすれば認めてくれる人は増えるのかを探らなくてはならない。
考えて形にしたところで、その考えた部分をプレゼンテーションしなくては、意志は通じない。これを永遠と考えていると、泥沼にはまり自分1人では抜け出せなくなります。
今はその世界から離れ客観的に自分のことを振り返れてますが、その時の私にとっては先生の評価が全てになっていたのだと自分でも思います。
離れた理由は奥深いところまでのめりこんでしまい、泥沼から抜け出せなくなり体が動かさなくなったからです。
そして、私は精神的異常をきたし、入院となりました。
それが私の今までの人生において今までで一番大きな転びだったのでしょう。爆発した。という言い方をしていた時期もありました。
しかし、その世界を離れたことによって私には他の世界を見る目が養われたと今は思っています。
温かいご飯が出てくることの幸せさ、恋人という大きな存在。ちいさくて温もりのある子犬。無邪気な子供の笑顔。
こういった些細なものが、ことが幸せの根本と思えるようになってきたからです。
現代社会では画面越しにコミュニケーションを取れるという便利な世界になってきていますが、その反面日常の小さな幸せが見つけにくくなっているように感じます。
LEDで眩しくなった街から星が見えなくなっていくように、当たり前で小さな幸せも見つけにくくなっていく、そんな気がします。
マイペースな青年
私は小さい頃からよくマイペースだと言われていた。しかし、それでは周りとうまく協調することができず、友達というものがうまく作れずにいる。それではどこか寂しくて、決まって私はキャラ作りをしてしまう癖がある。
しかし、だいたい3ヶ月ほど経つと体に無理が生じてきて、人間関係そのものが疲れ、億劫になってしまう。キャラを作るというのもおかしな話だ。人の個性や独創性はとても好きなのに、自分のそれを消してまで人と付き合いを続けようだなんて、疲れるに決まっている。
そんな中、面白い出会いがあった。サッカー好きのマイペースな青年。大喜利も好きで、人を笑わせるのがうまい。
彼を見ていると、一見他者との協調性が少し欠けているように思えるが、彼なりにいろんな考えがあるようだ。
私の中に足りないものは笑いだったとよく思い出させてくれる。そして、マイペースなりに人との付き合い方のお手本ともなる。そんな感じの不思議な青年だ。
彼はふざけて言っていた「自分が一番正しいと思ってるから笑」
その堂々とした姿勢は見ていて気持ちが良くなる。
こんな生き方もあるんだなあと。
ねれない夜
ねれない夜にはと考えることがある。
私は何の為に生を授かり生きていてその後に引き続がねばならないのかと。
現代社会そんなことを考える人は少くないと思う。
大抵の人は忙しさゆえ考える時間が少ないが、私の場合問題はその時間が多すぎるという点にある。
私には大学時代夢があった。
建築家になるという夢だ。あまり有名ではないもののデザイン系の大学に入り、建築を学んだ。
私が犬ならばしっぽがちぎれてしまうくらいの勢いでふりながら授業を受けていたのだろうと思う。
プロジェクター越しに見る有名建築、特に人の巣となる住宅を学ぶのはとても面白かった。
私の専門学校での2年間はあっという間に終わり、建築の奥深さを学んだ私はまだまだ学び足りないと思い、専門学校を卒業したのち、とある美術大学に入った。
欲張りな私は写真、デッサンなど一見建築に関係ないような授業までとり、それこそ朝から晩まで取り組んだ。なぜならば楽しくてしょうがないから。
しかし、授業を詰め込みすぎたのと同時にアルバイトもしていて、また、サークルをしていた私の体はエンストしてしまった。
ある日急にエンジンが切れてしまったかのように動かなくなってしまったのだ。
それ以来電車とバスに乗るとパニックを起こしてしまったり、うまく呼吸ができなくなってしまった。
授業を受けたいのに思うように動かない体は不便きわまりなかった。
時々私は自分の体と脳と心が分離して行く感覚がある。それは中学時代からよくあることであまり気にしないようにしていた。
しかしそれはもしかしたら危険サインだったのかもしれない。
思ったことを素直に伝えられない私の性格上、分離してしまう感覚は失われないものだと今でも痛感するからだ。
今はそれができるようリハビリの日々を送っている。
話は戻り、何の為に生を授かったのだろうという問題だが、今ではそこに理由づけをしたがっていた自分が間違えていたのだと今では思っている。
私は私の身を持って想像できないことが人生の中で起こることを知っている。
だからこそ面白いと思えるようになれるのならば、私は自分自身の殻を破り、自分の足で歩ける日が来るのではないかとそう期待しながら日々を送れるようになりたい。